皆さま、こんにちは!
お元気でお過ごしでしょうか?
詩 (うた id:chocobox-11)です🐬
過ごし易い日が増えましたね〜♫
わたしの街の桜も八分咲きです🌸
出掛けるときは「カメラ持って行こう!」と思うのですが、いつも忘れてしまいます。
iPhoneで撮ります。
✏️
さて、本題に入ります。
昨年、詩を公募していたので出してみたんです。3つの公募に出しました。
そのうちの2つは、優秀者にのみ通知が来るとのことでした。残念ながら、連絡はありませんでした。
通知が来た公募の結果は……。
2次審査通過。
その上は、3次審査があって、通過作品から受賞者が選出されます。
2次審査の基準は、
「詩として成立していること」
今回は、決していい結果ではありませんでしたが、私はずっとどこかで
「自分の書いているものはいったい何だ?」
「詩として取り扱っていいのか?」
と不安だったので、この結果は嬉しかったんです。
だって、「詩として成立している」基準はクリアできているという事は、「詩」と呼んでいいのだということですから。
今回、批評を受けられると知り、お願いしました。(有料です)
とても丁寧且つ親切な批評で、本当にありがたいと、心から思っています。
大切にしたいです。
客観的に見てもらい、アドバイスを受けられる機会って殆どありませんから、貴重です。
自分で足りないと思っている部分を指摘されて「やっぱりそうだよね〜」と思ったり、隠しておきたい!と思っている、自分の中の特性のようなものを、文字から読み取られてしまったり。
どうしてわかるんだろ?
詩人、恐るべし!
私の詩は、全体的に綺麗すぎるのだそう。
良くするには、私のすべてをさらけ出して書けってことなんですが。
なかなかそう簡単にホイッって出せないです。
だって、隠していたいんだから。
わかってるんです。
全てさらけ出して、叫ばないと魂に届くものは書けない。突き抜けられない。
でもね、
本当にそんなもん出して大丈夫かなぁ?
ってか、必要か?
作風も変わりますし。
また一段と暗くなっちゃうし😱
だいたい、世間は私のことなんて興味ないと思うんですよね〜。
それを延々と書き連ねる。
・・・・・・・・。
恥ずかしすぎるっっっ!
それが嫌で、特性を薄めまくるわけです。
これでもか!ってくらいに。
こんなに頑張って隠しているのに、分かる人から見ると
「無理しちゃってw」な訳で。
それもそれで恥ずかしい。
そもそも、この恥ずかしい。ってのが厄介なんですよね。
SNSでよく目にする、作品を「読んで下さい!」って宣伝。あれを見ると、すごいなぁって思います。
どうしてあんなに堂々と言えるんだろう。
disっているわけではなく、本当にそう思うんです。
私には、人に見せる勇気が圧倒的に足りないから。素直に「読んで!」って言えるのがすごく羨ましいし、素敵だなって思うんです。
きっと、
「自分はこうなんだ!コレが私の書き方なんだ!」
と自信を持つのが大事なんだろう。
そんな気がします。
それでも、詩の中でだけでも「理想の自分」でいたい。と思ってしまう。
こんなこと言っているうちは、この場所から動けないのだろう。
とはいえ、どうにかしたいので、急に
「どうした?」
というものを書くかも知れません。
その時は、ジタバタしてるなぁ〜wと見守ってくださると嬉しいです。
自分と戦っていきます。
恥ずかしいけれど、以下、置いときます。
文芸思潮現代詩賞2次選考通過作品、3作。
この中で、一番良いと言われたもの⬇️
綺麗すぎ⬇️
標語じゃないんだからw ⬇️
・・・というはなし。でした。
最後まで、お読みいただき
ありがとうございます(^○^)/〜💫